「身体はトラウマを記録する」を読んでいろんな過去の記憶が出てきた。
思い出された、最も古い記憶は小学校の低学年だったと思うが、
学校のテストで思わぬ良い点を取り、喜び勇んで帰宅。
母に報告したところ、「今、忙しい!」と邪険に扱われ、泣いてしまった。
そう、喜んでくれる。誉めてくれるものと思っていたから、思わぬ対応にかなりショックを受けた。
泣いてしまった僕を見て、母もはっとしたのか、「ごめんごめん、悪かったな」と謝ってくれたが、当時の僕にはよほどショックだったのでしょう。なんせこれを思い出すんですから。
もしかすると、これがうれしいときなどに、素直に喜びを表現するのを躊躇してしまう一因になったのかもしれない。
当時の母は自営業の手伝いから祖父母、叔父、父、母、僕、弟の7人家族の家事をこなしていたから、忙しくてそれどころじゃなかったのでしょう。
今ならわかるが、当時のまだ子供だった僕にはショックだったんだな。
それから小学5年だったと思う、服を買いに行って僕は赤いトレーナーを買った。
男が赤いトレーナーなんて着るのを気に入らなかったのか、父が「このオシャレ、オシャレが!」と皮肉を込めて冷やかされた。
これが、今では服装などを気にするのが、めんどくさいと思うようになっているが、実はこの時から何か、オシャレとか服装を気にすることが女々しい、いけないことのように感じていることから始まっていると思います。
これも、ただ父が軽口たたいただけなのかもしれませんが、子供心には強く刻まれた。
この頃から徐々に反抗期。学校でも偉そうにふるまいだす。
態度もでかくなり調子に乗りすぎ、学年1の男子からも女子からも人気者から反感を買い、一転いじめにあうようになる。
ますます卑屈になっていく。この頃からどんどん心に壁をつくっていく。
しかし、この頃は今と違って単純な時代でした。
空手を始めて、強くなればいじめられることはなくなった。
当時は極真空手というネームバリューもあり、また岡山の県大会(高校の部で準優勝)がテレビ放送されたこともあり、逆にちやほやされだす。
そして調子に乗り、どんどん傲慢になり、いつの間にか他人を傷つけるようになり、自己嫌悪。
そんななか、20歳にして初めて今の彼女と付き合うようになった。
若くて、やりたいさかりの僕は(≧◇≦)、休みなら目が覚めると、まだ寝ている彼女(6歳上)にせまり「うっとおしいな!」と拒否られる(◎_◎;)。これも当時はショッキングでした。
今なら笑い話ですが、当時の僕には初めての経験で、これも少なからず、欲求、思いを素直に表現しなくなる一因でした。
そして21歳から彼女と2人で高松に引っ越した。
なぜ香川にしたかというと当時の空手の香川県支部長が全日本チャンピオンだった。
いつも全日本チャンピオンと組み手が出来れば強くなるだろうと思ってのことだ。
そんな思いでいったので、稽古の後に師範や他の道場性たちと、よく飲みに行くのも楽しかった。
けっこう他人との間に壁をつくる僕ですが、当時はこと空手の分野では心を開いていた。
だが、ある時飲み会の途中で弟が酔いつぶれたので、僕が送ることになり、いったん送ってまた合流する予定だった。
ところがタクシーで送っていると、タクシーの運転に急にめちゃくちゃ酔いが回り、僕自身がゲーゲー吐き出した。
とても合流できそうになく、そのまま家へ帰り、彼女に連絡頼んで倒れるように寝てしまった。
その時の連絡の行き違いで、師範を怒らせてしまった。
何も知らず、次の日道場に行くと師範から昨日なんであんなことしたと聞かれたので、
ただ普通に、昨日こうこうでと説明したところ、
「そんなんよそじゃ通用せえへんよ!」
と叱られ、たしかに連絡を人任せにしたのはまずかったなと謝ると
「ところで、その話は本当なのか?」と捨て台詞。
これには腹が立ちました。なんでウソつく必要がある。俺は師範と飲みに行くの好きで嫌だなんて思ったことないのに。
ここでもか、と今思えば一番好きな分野であこがれた人からもそんな誤解をされるのかとショックを受けたんですね。
今この歳になって考えれば、上記のようなことは他愛もない行き違いや、人それぞれ聖人君子じゃなし機嫌の悪いときもあり、ぞんざいな対応することもあるよなとわかりますが、
当時はその時々、純粋でちょっとしたことにショックをうけて、そんなこんながいつの間にか、あまり他人に心を開かず、ショックを受けないで済む距離感を無意識にとるようになっていたんでしょう。
この本に出てくる症例は戦争帰還者、性的虐待、ネグレクトなどひどいトラウマを負った人々ですが、
僕のような、この程度のといってはなんですが、この程度のことでも結構現在に影響を及ぼしている。しかも普段こんなこと思っていません。読んでてハッと気づかされた。それまでどちらかというと、自分ではあまりトラウマというほどではないが、精神的な問題は少ない方だろうと思っていたんですが。
思い出した出来事に、違った意味付け、解釈をしたことで、(ちょっと本を読んで自分なりにですが、その時々の自分に「喜んでもらいたかっただけなんだよな」「よく頑張ったな」など)それだけで、体の力が抜けた。
今まで無意識に無駄な力み、緊張がかなりあったんだな。普段体操などで身体をほぐしているが、考えてみれば体操やらなかったら、どんどん固まっていくんだから、いかに身構えて生きてたんだろう。
よく患者さんの中に、すごい凝り性で施術しても施術しても、その時は良いがまたすぐこってくる方もいるが、おそらくこういう無意識の緊張があるんだと思います。というかほとんどの病気はこういうことが原因あるいは遠因となっているように感じました。
そういう目で見ると、みんな気を張って生きてるなと感じる。縁あって来院された方には、触れた手から、あるいはさりげない会話など、少しでも良い影響を与えられるようになりたい。