基本的に本を読むのが好きです。健康とは別に趣味で読んだ本です。
「はじめに」より
人知れぬ山奥に、本を愛し、本を届けることに命を懸けた人たちがいた。小さな村の本屋の足取りを追うことは、人々の好奇心の行方を見ることだった。これまで書き残されることのなかった、普通の人々の小さな歴史の積み重なりである。わずかに生存している子孫たちを追いかけて、消えゆく話を聞き歩いた。何かに憑かれたように、一生懸命に書いた。
本好きとしては非常に興味をそそられ、これも図書館で借りて読みました。イタリアの山奥の資源の少ない村の人々が、本を売ることを思い付き全国に行商の旅に出る。
特に、血沸き肉躍るような興奮はないが、地味に静かに、それでいて力強さを感じさせる本の行商人の話。本好きとしては、読んでいてしみじみと幸せな感覚になれた本でした。
知識が思考の邪魔をする。自分の専門分野であるほど新しい発想が出ない。常識から考えて、そんなことできるわけない。という発想になりがち。
常に0から思考できるように。また新しい情報に接したら、それはなぜそうなのか、それは自分にとってどう役に立つとか、常に自分の頭で考えよう。という本です。
あいだの章で、グラフにしてみたり、図式化して考えるなどは、めんどくさがりの僕には、とてもやりそうもないことですが、
最終章で、何か情報に接した時に、それはこういうことだねとか、じゃあこうしましょうとか、すぐ反応できる頭の回転の速いといわれる人というのは、
つねにいろんな情報について考えている。つぎに入ってくる情報の何通りもすでに考えてストックしている。だから新しい情報に対してすぐ答えが出る。なるほどなと思いました。
読むと歴史書を読みたくなりました。
こちらは小説を読みたくなりました。
いろんな人が、どんな風に本を読んでいる、楽しんでいる、役立てているみたいな、このような本を読むのも好きです。
他にも、脳科学者や記憶力チャンピオンや速読の人、起業家の人、小説家など、いろんな人が書いた、本の読み方などを観ましたが、
もう千差万別で面白いです。
やれ速読がいいとか、じっくり丁寧に読めとか、目次から見て必要なところだけ読むとか、いや新しい知識を得るには、一字一句とばしてはいけないとか、小説は必要ないとか、イヤなんでも読むほうが良いとか、もう面白いぐらい、著者によってバラバラです。
これこそが読書の良いところだと思います。いろんな人のいろんな考え方に接することが出来るので、これが絶対に良いなどという方法はない。人それぞれ得手不得手があるから、それぞれに応じた方法がある。
誰かに言われたやり方が出来ないからと落ち込むことはない。自分に合った方法を見つければいい。
いろんな考え、ひいてはいろんな人生があっていい、といつの間にか思うようになったのは、ただ歳をとったせいだけでなく、いろんな本を読んできたからというのがあると思います。
そういう意味では、いろんな人のいろんな本をたくさん読むことによって、心の余裕というか、器の大きさというのにもつながる気がしますよ。