今日、高松トレーニングクラブの中尾達文先生からお歳暮が届いた。
讃岐うどん、ありがとうございます。
僕が21歳から24歳までの3年半ほど高松市に住んでいたころ、大変お世話になった先生です。
その後も何度か香川県に行った折にお会いしたが、もうかれこれ20年ちかく直接お会いしてませんが、
今でもこうやっておつきあいくださり、ありがたいかぎりです。
また折に触れ、新聞、雑誌などで為になる記事などがあるとコピーして添えてくださいます。
今日もお歳暮といっしょに、安藤昇の記事を添えて下さり、
”他者に学ぶ!たとえそれがヤクザであろうとも学ぶことはある”と書き添えて。
読んでみると、為になる言葉などがいろいろ書かれてありましたが、その中の
「誰もが生き、そして死んでいく。だから生きること自体に意味はないし、死ぬこと自体にも意味はないんだな。要はどう生きたか、どう死んでいったかが大事になる。(後略)」
なぜか身に染みたというか、こころに響きました。
このような言葉や文面は、ある意味いままでも目にしたようなもので、とりたてておおっていうものでもないと思いますが、
それを言う人、前後の脈絡、読むタイミングなどで感じ方がまったく違ってくる。
今日はなぜかぐっと心に響きました。ありがとうございました。
電話では簡単にしか、お礼をつたえれなかったので、
たまに、このブログを読んでくれているそうなので、ここでこそっとお礼を述べさせてもらいました(^▽^;)
今後ともご指導よろしくお願いいたしますm(__)m