全国療術師協会の講習は隔週の土日で2年間だった。当時は家業のプラスチック再生業を手伝いながら大阪まで通っていた。4月からスタートで2月に面接と説明会があって、それが阪神大震災のすぐ後だったので、姫路まで新幹線でそこから、バスと電車を乗り継いで大阪まで行った。電車から見えた景色が空襲の焼け跡のようだったのにビックリした。講習が始まって2回目ぐらいから新幹線が大阪まで開通して通うのが楽になったが、しばらくは新幹線の窓からみえる家々の屋根にブルーシートがはってあった。
講習が始まってすぐから、ここに通うのをすすめてくれた先生から、安くていいから必ず料金をもらって習ったことを施術しろといわれていたので、全身を押圧していく基本的な施術を始めた。今思うと恐ろしいほど稚拙な習いたての技術をよくお金を頂きながらやっていたものだと思う。まあ収入は家業のプラスチック業でまだ景気がいいころでそこそこ頂いていたので気楽なものだった。施術させていただいた方には今思うと申し訳ない限りである。何はともあれこうして手技療法の世界に入っていきました。